現在コロナ禍で不安、不便な生活を強いられている方も多いと思います。東京では4度目の緊急事態宣言を発令、更なるリモートワークの推奨をしていましたが、世の中様々な仕事があり、リモートでは出来ない仕事も多く、そんなにリモート、リモートと言っても無理があるのではないかと考えたりもします。
それでも昨年からの自粛生活の中、一気にIT関係が普及、進化しているのは目覚ましく、そんな世の中にあって、時代の流れを感じ、変化を感じております。
昔の人々も同じように時代の流れを感じ、変化に戸惑いながらたくましく生きてきたと思います。
とくに明治維新以降の日本の変化たるや、庶民には予測不可能レベルの変化が次々と起こった時代だったと思います。その中にあって北本はどのように変化していったのか、今回は鉄道と一緒にみていきたいと思います。
ビックリする事に明治5年に新橋―横浜間に初めて汽車が走ってからたった10年ほどで高崎線は開通してます(早っっ)。
1883年(明治16) 日本鉄道初の路線として高崎線開業。これ、日本初の長い鉄道って事で、スゲーことなんです。当時、群馬の生糸や深谷のレンガを東京、横浜へ運ぶためでしたが、当時、まだ北本には駅はありませんでした。
北本に駅が出来たのは、昭和になってから。1928年(昭和3年)に北本宿駅が出来るのですが、当時の北本は、まだ中丸村、石戸村等、小さな村が点在している状態。では、どこから「北本宿」の名前が付いたかと言うと、「Vol7中山道の宿場」と「Vol8 中丸村と石戸村と北本宿村」でもご説明した通り、元鴻巣宿➡本宿村➡北本宿村へ名前が変化していった経緯がある訳でして・・・・
それと同時進行で途中から高崎線開通が重なる訳なんですが・・・・
この話、中々複雑で、頭がごちゃごちゃになってしまい、自分の頭の中を整理整頓しないとご説明できないので、しばし自分にお時間を頂きたいと思います。頑張って整理いたします。by Ryu