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Vol.8 中丸村と石戸村と北本宿村

こんにちは。Ryuです。

現在の北本市はうさぎの形をしています。お尻のほうにある石戸と顔の方にある中丸の方は昔それぞれ村だったようです。昭和になる前は小さな村がたくさん存在していたようで、他にも村はあったようですが、荒川沿いの石戸村と中山道沿いの中丸村、宮内村、深井村が大きな力を持っていたようです。

中山道沿いの村を支配していたのは武士で、室町時代まで遡ります。

 

「鴻巣七騎」と呼ばれる武士が支配していた中山道沿い。何だか難しいのですが、鎌倉時代が終わった後の北本は北条氏の支配下に置かれていたらしく、その配下である岩槻城主の太田氏が北本から鴻巣にかけて事実上支配していたそうです。

う~ん、会社的に言うと親会社が北条氏、子会社が太田氏、北本は孫請け的な町工場ですね(笑)

となると岩槻―北本間は、人も物資も動きます。どこを通ったかというと「岩槻道」と呼ばれる道です。岩槻から鴻巣をつなぐ道の事で、岩槻から来ると北本の中丸~宮内~深井を通り、17号へ合流する、現在も存在している道です。その街道をブイブイ言わせていたのが、「鴻巣七騎」っていう7人の武士なんですが、そのうちの3人が北本の中丸、宮内、深井にそれぞれ住んでいたらしい。町工場の工場長って役割ってとこ(笑)

 

明治になる前は、小さな村がたくさん存在していたらしく、石戸村もそうですが、中丸村、宮内村、深井村みたいに支配者一人一村。そこで、1889年(明治22年)に町村合併を進める政府の意向で、それぞれの村は、石戸村と中丸村の2つにまとめられます。

その後1943年(昭和18年)に中山道を挟んで存在していた中丸村と石戸村が一緒になって、「北本宿村」になり、やっと人口1万人を超したそうです( Д)

 

それから推測するに昔の村って人口200人とか?現在の町内会規模ってこと?う~ん、時代と共に感覚って変わるんだなぁと実感。北本の人口Max7万人超えでしたが、近頃人口減少が続いており、65,869人(泣)

このまま人口が減少したら、市から町への降格ってあるのでしょうか?(焦) by Ryu