こんにちは。Ryuです。
北本=石戸は荒川の水運で栄えてきた場所だとお話してきました。
鎌倉以前の書物に北本の記載がないので、さかのぼれるのは鎌倉時代って事になりますが、鎌倉と言えば思い出す言葉ありませんか?歴史の教科書にも載っていたので、覚えている方も多いと思います➡「いざ鎌倉」(笑)
これは鎌倉時代に武士が鎌倉へ急ぎ向かう時の合言葉。
その為の街道も整備されたと習ったような?気がします。
その街道が北本にも通っていました。それが中山道かと言うとそうではなく・・・・この頃は荒川に沿って街道があって、その街道の事を江戸時代になって「鎌倉街道」と呼んだそうです。
現在の中山道ではありません。
水運で荷物や人を運んでいたため、その近くに道を作って陸路の輸送に使用していた道です。
それは明治時代まで続き、現在の髙尾に河岸(がし)と呼ばれる、舟から人や荷物を上げ下ろしする市場のようなものがあったそうです。そこでは、米、大豆などを江戸へ運び、帰りに塩や生活用品、畑の肥料にする魚のあら等を積んで帰ってくる。多くの荷の上げ下ろしがされ、およそ明治の終わりごろまでにぎわっていました。
えっ?なんで無くなったかって?それは明治16年に鉄道(高崎線)が引かれて、運搬のメインを取られてしまったからです(泣)
そんな水陸両用の石戸は、栄えないはずがない!多くの人が集まるし、店や問屋があったと思います。そこから、石戸の宿場=「石戸宿」と呼ばれたのでしょうね。by Ryu