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Vol.3 範頼VS石戸氏

こんにちは。Ryuです。

石戸あたりの権力者の話を前回させていただきましたが、皆さん覚えていますか?(Vol.2参照)

そこでも出てきました「源範頼」さんってだれ?って思いませんでしたか?

鎌倉幕府を作った源頼朝は有名ですね。そして義経も有名ですね。(うんうん)でも「範頼」って聞いたことないと言う方も多いと思います。自分も北本で取り上げるまで知らんかった。と言う訳でGoogle先生に聞いてみた。

 

皆さんお馴染みWikipediaには、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。河内源氏の流れを汲む源義朝の6男。兄が頼朝、弟が義経(共に母が違う)と記載されてます。

そもそもですが、平安時代は平家の天下。父ちゃんの義朝さんが平清盛に負けたから一族は殺されるんだけど、とっても小さかった子供らだけは、殺されず、あちこちで育つ。そんで、範頼さんがどこで育ったかと言うと遠江国の蒲御厨(静岡県浜松市)らしい・・・・。

あれ?石戸で匿われていたのでは?と疑問炸裂!

さらにググってみても石戸で匿われて育っていない!

えっ?どうも北本に伝わる話に間違いがあるらしいと確信。多分で、間違いないが、平氏から匿っていません。

 

じゃあ、どこでどうなって、北本に範頼伝説が生まれたの?と更なる疑問発生。

なんだか、北本も範頼押しするにあたり、もう少しちゃんと調べれば良かったね。と反省。

じゃあ、誰から逃げてた?と言われると頼朝からの様です。

時は既に鎌倉時代。平氏は滅ぼしています。で、お兄ちゃんの頼朝が鎌倉幕府を作って日本のトップに君臨していたわけですよ。いつの世も一番の敵は兄弟なんですが、源氏も同じだったようです。鎌倉幕府を作った頼朝の兄ちゃんは、あの義経が自分の地位を狙っていると考えた頼朝は、義経を殺すように範頼に依頼。それを断った範頼も頼朝の兄ちゃんから狙われるハメに・・・・そして命からがら北本の石戸に逃げてきた説が有力です。兄ちゃんと上手くいってた時は、今の吉見に領地を貰っていたから、荒川を挟んだ石戸に土地勘もあったろうしねぇ・・・。前回の石戸のトップ問題は、解決しました。石戸氏です。by Ryu